プロフィール 「恩送り」がしたい | のこすて保険
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プロフィール 「恩送り」がしたい

生命保険と損害保険のセールスを35年間勤めました。

定年まで勤められたのは、多くのかたがたがご契約をして下さったからです。

本当に感謝してます。

本来ならば、お一人お一人にお会いしてお礼を言いたいのですが、多くの皆さまは天国・極楽浄土に行かれお会いできません。

そこで、思いついたのが「恩送り」がしたいです。

保険の最終資格

代理店を退社した時に
もっていた資格は以下になります。

  • 最終保有資格・所属会社は、
  • 2級ファイナンシャル・プランニング技能士
  • 日本ファイナンシャル・プランナーズ協会認定AFP
  • 認定生命保険士
  • 少額短期募集人
  • 損害保険・普通資格
  • 生損保代理店募集人取り扱い26社

生命保険会社に就職するまで

1947年(昭和22年)生まれ、明治学院大学経済学部商学科(保険ゼミ)卒業。大学志望の時は「将来日本は食糧輸入国になる」と思い、輸入に関係する保険ゼミを選択しました。

3年生になると大学紛争の真只中で、学内はロックアウトされ構内には入れませんでした。ろくな勉強も出来ないまま4年生になり就職です。

母が田舎で一人暮らしていましたが、病気になり2週間も寝込みました。

姉も近くに嫁いでおりましたが、自宅から通勤できるところに就職して欲しいと言われ、当時、大人気のデパートに勤務することになりました。結局5年間お世話になりました。

その後2年間の紆余曲折があり、今度は中堅スーパーに2年勤務しました。

それから、2年目に結婚しました。ところが夏の冷房で体調を壊し10㌔も痩せました。

そんな折に、
保険のおばさんがやってきて
「結婚したのだから保険に入らないか」と勧められました。

事情を説明し断ろうとすると、
今度は
「太陽の下で汗を書いて働く、
生命保険の仕事をしないか」

「私達はボーナスが4回あり●●円貰った。
あなたも頑張ればこのくらいは貰えるよ」
と、支給明細を見せられました。

スーパーでは店長、次長その次の
3部門マネージャアーをしていた私の
ボーナスより2倍も多いのです。

本当は、
お金に負けました。

転職の決め手は健康が1番大事

健康が1番ですから、転職をすることに決め、それまでにお世話になった方々に挨拶回りしました。

親戚のおばさんには、
「大学を出てまでする職業じゃあない」
とまで言われました。

保険はおばさんが自転車で個人宅を回って営業をする時代でした。

まだまだ生命保険のセールスは、社会的に認められていませんでした。

国内大手生保といえども歩合給です。

入社後の私は保障給もありましたが、色々な経費を差し引くと4万円しか妻に渡せない月もありました。

この時、
大きいお腹(妊娠)をした妻が、歩きで隣町までカーテンの注文取りに行きました。しかし、断られたと言いました。

保険のセールスだけでは食べられないので、前職のつてで副業でカーテン工事もしていました。

出産費用も準備できない不甲斐ない夫でした。

スーパー時代に、
「副業でカーテン工事をしている」
と、話したのを覚えいてくれた高校の友人から電話がありました。
家を建てているとのこと。新築1軒丸ごとカーテン工事をさせて貰えることになりました。

そうこうしていると続けて3件の工事が決まり、出産費用も何とか間に合いました。当時はまだ自己負担をして、入院費用(出産)を一時金で支払わなければなりませんでした。

世間は見ていて、本当に困った時には助け船を出してくれるものと思いました。有難かったです。

私たちは「何か見えない力に支えられている」と思いました。

保険は”全部私に任せて”が理想

40歳の頃から損害保険会社にも所属して、同じお客様に生命保険と損害保険を提供できるようになりました。

保険のことはすべて
私に任せて下さいと営業をし始めました。

50歳の頃、多くの生命保険会社が破たんしました。

私の所属していた損害保険会社も破たんしました。

掛け捨ての損害保険ではなく、貯蓄タイプの損害保険が主流でしたから、逆ザヤが大きくなり破たんしました。

損害保険会社が破綻してからは、お詫びと事情説明に伺いました。
破たん処理の決定が決まるまで半年以上かかりました。

その年は
「自分を信じて預けて頂いたお客様に申し訳ない」と思い、
生命保険のセールスが出来ませんでした。

私たちセールスは
規定の期間に
所定の件数が
挙積できないと解職になります。

つまり、クビです。

私も解職を覚悟していました。
もう保険の仕事は止めようと思いました。

その時の営業部長から
「特認で来月4件挙績したら解職にならない」
と言われ、励まされましたがやる気は起こりませんでした。

救いの神が現れた

そんな折、成績不足で退社した女性が
「私のお客様のところに一緒に行こう」
と言って連れて行ってくれました。その上応援をして1件契約を取らせてくれました。

最後まで彼女が応援をしてくれて「4件挙績」が出来ました。

それまでは特に親しくも無かった人に助けられ、本当に有り難かったです。

この時も見えない力に支えられると思いました。

見えない力に助けられた

また、
こんな事もありました。

定年前の59歳の時に会社の健康診断で腫瘍が見つかりました。

がんです。

晩婚でしたから子供も小さく
がんでは死ねない」と思いました。

忘れもしません、手術日は6月6日に決まりました。

5月の売り上げを締めたのが5月25日の最終日でした。

手術日までに6月分の成果を出したい

何とか1件契約をして頂いてと考えてセールスしていたら、なんと手術の前日までに、ノルマの4件がスルスルと出来ました。

こんなにも早くノルマを達成できたことは後にも先にもありません。

この時も、「見えない力に支えられている」と思いました。

感謝の「恩送り」・まとめ

こうした数々の体験を通して、多くの人に支えられて35年間のセールス活動が送れたのだと思います。

お一人お一人にお会いしてお礼を言いたいです。

駆け出しの頃にお世話になった人たちは
「皆さん極楽往生されておられる」
ので、会ってお礼が言えません。

そんな折に目にした言葉が「恩送り」です。

「今、目の前にいるあなたのお役に立つことで、お世話になった故人にお返しができる」

と思いこのホームページを立ち上げました。

このホームページをご覧になって、お一人でも

  • 役に立ったよ
  • 参考になったよ
  • と言って頂けたら嬉しいと思い書き綴っています。

    個別コンサルはしておりません。

    同様な質問が何度もある場合は、記事にまとめさせていただきます。

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